高松高等裁判所 昭和34年(ナ)4号 判決 1960年3月24日
原告 中山清 代理人 岡林靖
中西敏雄 代理人 福島喜一
被告 徳島県選挙管理委員会 代表者委員長 藤岡直兵衛
指定代理人 小川昭二 外二名
主文
原告らの各裁決取消請求を棄却する。
原告中山清の、自己を昭和三十四年四月三十日執行の小松島市議会議員一般選挙の当選人と決定することを求める訴を却下する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び争点
原告中山清訴訟代理人は、「昭和三十四年四月三十日執行の小松島市議会議員選挙の当選の効力に関し、被告が昭和三十四年八月二十日附をもつてなした裁決中当選人を決定しなかつた部分を取消す。原告中山清を同選挙における当選人と決定する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求めた。原告中西敏雄訴訟代理人は、右裁決を取消す、訴訟費用は被告の負担とする旨の判決を求めた。被告訴訟代理人らは、原告らの請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする旨の判決を求めた。
(争がない事実)
各当事者が、請求原因、答弁として、一致して述べたところの要旨は
原告らはいずれも昭和三十四年四月三十日執行の徳島県小松島市議会議員一般選挙の候補者であつた。同選挙の開票の結果、選挙会において、原告中西敏雄への有効投票数四百七十四票、原告中山清への有効投票数四百七十三票で、両者とも法定の得票数以上であるが、中西が最下位当選者、中山が最高位落選者と決定し、その頃当選人決定の告示がなされた。これに対し、小松島市坂野町に住む選挙人堀川豊次から、同年五月二日ないし四日頃、小松島市選挙管理委員会に対し原告中西敏雄の当選の効力に関し異議の申立があつたが、同選挙管理委員会は同年同月十九日附で、この異議申立を棄却する旨の決定をした。次いで、右異議申立人と原告中山清から、同年五月二十七日、被告徳島県選挙管理委員会に対し、右の棄却の決定を不服として訴願をした。その訴願の要旨は、本件選挙において無効投票とされた投票のうち、(1) 「中山豊」、(2) 「中山晴二」、(3) 「中山清行」なる三票はいずれも原告中山清の得票であるなどの理由をあげ、中西敏雄の当選を無効とし且つ中山清を当選人と定める旨の裁決を求めるというのであつた。これに対し、被告は(1) 、(2) の二票は「公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」(公職選挙法第六十八条第七号)で無効であるとし、なお本件選挙において従来中山清の得票に数えられていた(4) 「中山清吉」、(5) 「」、(6) 「」、(7) 「」、(8) 「」の五票を含む原告ら両名の全得票については職権審査をした上で、包括的にすべて有効であるとし、このようにして、開票管理者の決定並びに市選挙管理委員会の見解を(3) の投票以外について悉く是認したが、(3) の投票については訴願人らの主張をいれてこれを訴願人中山清への有効投票と判定し、この結果、同年八月二十日附で、両候補者の得票数は同数となることを理由に市選管理委員会の前記異議申立棄却の決定を取消し中西敏雄の当選を無効とする旨の裁決をした。
というのである。
(争点)
一、原告中山清訴訟代理人は更に次のように述べた。
右裁決は(1) 、(2) の各投票が中山清への有効投票であるのにこれを無効とした点で投票の効力の判断を誤り、ひいて、当落の判定を誤つた違法がある。本件については中山清への有効投票が中西敏雄のそれよりも右の二票分だけ多いという理由による中西敏雄の当選無効と中山清の当選とを宣言するべきであつた。
およそ多数人が関与して行われる選挙にあつては、選挙人が候補者の氏名を誤つて記憶したり投票にあたつて文字を誤記したりする場合がしばしばおこることは避けられない。本件では、中山清は旧坂野町議会の議員で同町が昭和三十一年九月三十日に小松島市に合併したのにともないそのまま小松島市議会議員となつた者であり、本件選挙が同市議会議員選挙としては最初であつたこと、それに同人の選挙ポスターには「中山」と氏だけしか記載していなかつたなどの事情があるから、清という名までは確知しない者が殊に旧市内方面においてあつたであろうことを容易に想像することができ、誤記票などの存在が当然に予想される。しかし、現行法は候補者制度をとつており、この制度の下では、選挙人は候補者のうちの誰か一人に有効な投票を意欲して投票したものと推定するべきであるから、投票の氏名の記載が選挙人のうちの著名な人物の氏名と完全に一致するような場合はともかくとして、そうでない場合は、それがある候補者の氏名によく似ており他に類似氏名の候補者がない限り、その類似氏名の候補者に対する投票と認定するべきであり、また、一見したところ二人の候補者の氏と名とを混記したかのようにみえる場合でも、記載全体から投票者の意思を知りうる限りはこれを当該候補者への有効投票と認めるべきである。このような観点から前記の各投票をみるのに、
(1)「中山豊」という投票については、選挙人のうちに同一氏名の者もなく、ただ候補者のうちに麻植豊があるから一見したところではこの二人の候補者の氏と名とを混記したかのようにみえるけれども、名の清と豊とは共に一字名で何か好ましい形容詞という類似点があるため間違うことはありうるが、氏の中山と麻植との間には間違えようのない差異がある。このような場合には氏の記載に重点をおいて投票者の意思を判断するべきで、その氏の方は中山と明記してあるから、この選挙人は中山清に投票する意思で、名を誤り記載したものと認めるべきである。(最高裁判所昭和三二年九月二〇日判決参照)
(2)「中山晴二」という投票については、選挙人のうちに同一氏名の者もなく、候補者のうちにも晴二という名の者はない。そして中山姓は候補者のうちで原告ただ一人があるだけである。しかも、清と晴とは文字の旁(つくり)が同一の青で、普通の音読は共にセイであり、文字の意味も前者は水の青い意味、後者は空の青い意味である。このように中山清と中山晴二との間には濃い類似性があるから、この選挙人は中山清に投票する意思で、名を誤り記載したものと認めるべきである。(なお本件選挙で、中西繁雄というやや著名な選挙人の氏名と完全に一致する投票が原告中西敏雄への有効投票として算えられていることを参酌すべきである。)
これに反し、(3) ないし(8) の六票については原裁決の判断は正当で、何も問題はない。
以上の八票を中山清への有効投票に算えると四百七十六票となり、中西敏雄への有効投票より二票多く、中山が中西にかわつて当選人となるべきことが明らかである。
二、原告中西敏雄訴訟代理人は次のように述べた。
原裁決は、(3) ないし(8) の各投票が無効であるのにこれを中山清への有効投票とした点で投票の効力の判断を誤り、ひいて、当落の判定を誤つた違法がある。本件については中山清への有効投票が選挙会の算定したところより(4) ないし(8) の計五票を減じ、したがつて中西敏雄のそれよりも六票少いという理由で訴願棄却の裁決をするべきであつた。
おもうに、公職選挙法第一条は同法の目的として、憲法の国民主権主義を基調とする民主主義の理念に則り、国民の代表者となるべきものを公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表現した意思によつて公明且つ適正に行われることを確保するべきことを規定しており、その目的を達成するために種々の厳格な規制を行つている。したがつて、その最も重要な投票の意義については、厳粛に且つ適正に解釈をしなければならない。この意味において、投票者の意思を、あたまから、投票の有効を欲する方向にばかり推定してかかることは間違いである。殊に本件選挙は有権者が僅かに二万三千人くらいの都市の候補者三十四名による市議会議員選挙で、選挙人にとつて甚だ身近であり、また中山清の氏名は書き易いものであるから、これを誤るということは異例といわねばならない。(原告中山は中西繁雄という投票が実在の選挙人の氏名と一致するのに中西敏雄への有効投票とされたことを挙げるが、中山清というような簡明な氏名の場合と場合を異にする。)このような観点から前記の各投票をみるのに、
(1)「中山豊」という投票については、各文字とも極めて明瞭に記載されており、しかも清と豊とでは文字が全く異なるから、中山清の名の誤記とは認められない。かえつて、小松島市の選挙人名簿によると、小松島市の有権者には豊という名の者が三十二名を算え、殊にその中には同市明神東に住む中川豊という者が含まれており、この投票の記載は字体音感からみてこの中川豊を指すものと解されるから、公職選挙法第六十八条第二号前段の「公職の候補者でない者の氏名を記載したもの」として無効である。仮にそうでないとしても、候補者中山清の氏と本件選挙において同じ候補者であつた麻植豊の名とを混記したもので、同法第六十八条第七号の「公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」として無効である。原裁決中この部分の判断は結論において正当である。
(2)「中山晴二」という投票については、運筆正確であり、この名の記載は「ハルジ」又は「セイジ」であつて清即ちキヨシとは発音及び字数を異にしているから、中山清の名の誤記とは認められない。かえつて、小松島市の選挙人名簿によると、小松島市の有権者には清二という名の者五名、清一という名の者三名、晴一、晴三という名の者各一名を算え、「晴二」という名とまぎらわしいものがかくも多く、殊にその中には市内入船に住む中村清二、市内本道に住む中西清一という者が含まれており、この投票の記載は候補者中山清によりも遥かにこの両名に近似しているから、(1) と同じく第六十八条第二号前段により無効である。原裁決中この部分の判断は結論において正当である。
これに反し原裁決の以下六票に対する判断は不当である。けだし、
(3)「中山清行」という投票については、字画は正確で運筆も正しく、相当の知識人が記載したことが認められ、前記のように本件選挙が身近なものであり且つ中山清の名が簡明なこと、この文字は名とすれば「セイコウ」又は「キヨユキ」であつて清即ちキヨシとは音感が全く異ることなどから考えて、到底、中山清の名を誤つたとは認められない。かえつて、中山清の名の文字を知りつつ、これに投票の行先を示す意味で「宛」「え」「呈す」などと同様の「行」という文字を附加したもので、「キヨシ、ユキ」と読むべきものであるから、第六十八条第五号の「他事を記載したもの」として無効である。仮にそうでないとしても、小松島市の選挙人名簿によると、小松島市の有権者には同市赤石に多田清行、三五会に吉岡清行という者がいるから既に他の投票について述べたのと同様に第六十八条第二号前段又は第七号によつて無効である。この投票については、開票当日、開票管理者から被告の係員にその効力についての問い合せをしたのに対し、被告の係員からは当時無効という回答がなされたのであつて、被告が後になつてこれを有効とするのは不可解である。なお本件の前記異議申立の段階において市選挙管理委員会は(1) 、(2) の投票のほかこの(3) の投票についても無効と判定しているが、これは同委員会が当時、中央の当局その他多数の専門家の見解をただし周到詳細な研究を行つた上で決定したものである。
(4)「中山清吉」という投票については、この名の記載は「セイキチ」であつて清即ちキヨシとは発音及び字数を異にしているから、中山清の名の誤記とは認められない。かえつて、小松島市の選挙人名簿によると、小松島市の有権者には清吉という名の者七名を算え、ほかにも中山又吉、中山寿吉、中川清七、中山甚吉、中西清一というようなこの投票の文字、音感に近似する者五名がある。殊に右の七名の清吉の中には同市中田東一丁目に住む大中清吉という者が含まれており、これはこの投票の記載と四字中実に三字まで一致する。したがつて第六十八条第二号前段により以上の他の投票と同様無効である。また、本件選挙の侯補者のうちに長谷清重という者があるから、この者の名と中山清の氏とを混記したものともみられ、同条第七号により無効である。この投票以下の各投票については、開票管理者の決定も市選挙管理委員会の決定も被告の裁決も悉くが効力の判定を誤つたものである。
(5)「」という投票については、判読できない。強いて判読しても「ナカカコ」であつてナカヤマではない。したがつて、結局は、既述の他の投票と同様第六十八条第二号前段又は第七号により無効である。
(6)「」という投票については、二個の氏が併記されているが、墨書が何を意味するか確認し難い。強いて判読しても「」である。したがつて第六十八条第五号の他事記載として無効であり、そうでないとしても第七号により無効である。
(7)「」という投票については、下の字が判読し難い。強いて判読しても「中中」である。これは選挙人が中山と記載しようとして中中と書いてやめたともみられるが、同時に、中西と記載しようとして中中と書いてあとがとぎれたともみられる。結局、選挙人の意図を確認することが困難であるから第六十八条第七号により無効である。
(8)「」という投票については、中山という記載は認めえないでもないが、その下の記載が何を記載しているのか全く判明しない。このことは何も書いてないというのとは全くその意義を異にするのであつて、他事記載というのに該るから第六十八条第五号により無効である。
以上の八票を無効とすると、中山清への有効投票は四百六十八票となり、中西敏雄への有効投票より六票少く、中西が当選人となるべきことが明らかである。
三、被告指定代理人らは次のように述べた。
原裁決の投票の効力の判断及び当落の判定はすべて正当で、事実の認定、法律の解釈のいずれの点にも誤りはない。(1) 、(2) の各投票は無効、(3) ないし(8) の各投票はいずれも中山清に対する有効投票で、両原告の得票は四百七十四票の同数であるから、公職選挙法第九十五条第二項により選挙会において選挙長がくじで一名の当選人を定めるべきである。
投票の効力の判定について両原告の主張するところは、抽象論としてはそれぞれ一面の真理を含んでいる。およそ公職の選挙において厳正公明が要求されることはいうまでもないが、投票によつて表明された選挙人の意思は、公職選挙法が厳粛な遵守を要求する他の原則に牴触しない限りにおいて、その意思が明白であればこれを生かして投票を有効とするようにするべきで、右のような制約がある意味では意思だけが至上ではないが、反面、たとえば投票の記載が拙い文字で書かれているからといつて、いたずらにそれをとがめるべきではない。また、投票の不正確な氏名の記載が、誤記かどうか、即ち候補者のうちの或る一名を記載したと認められるかどうかについては、候補者制度をとる以上原告中山清の主張するような推定を以てのぞむべきであるが、反面、原告中西敏雄の主張するように本件選挙が身近であり中山清候補の氏名が文字として簡明なものであることなどを考慮するべきである。このような観点から前記の各投票をみるのに、
(1)「中山豊」という投票については、選挙人のうちに同一氏名の者はないが、本件選挙の候補者のうちに麻植豊があるから、同人の名と中山清の氏とを混記している。公職選挙法第四十六条及び第六十八条に規定する候補者の氏名とは字義どおりに解釈するべきものではなく、氏名のうちの氏又は名のいずれかだけでも、それが議員候補者のうちのなんびとかの氏又は名に該当するなど明らかに議員候補者のなんびとかの氏名を記載しようとしたものと認められれば足り、その投票は有効となるわけであるが、この投票ではどちらの候補者を記載したものか確認することができない。原告中山清が主張する事実のうち、坂野町と小松島市とが合併し、本件選挙が合併後最初の市議会議員選挙であつたこと、同原告のそれまでの公職の経歴、ポスターに氏だけを記載していたことなどはいずれも認めるが、これらの事情を考慮してみても、右の結論にかわりはない。この投票は第六十八条第七号により無効である。
(2)「中山晴二」という投票については、選挙人のうちに同一氏名の者はないが、この筆跡は普通人の筆跡で明瞭且つていねいに記載されている。そして、晴二は下の「二」の字が漢字の場合は「ハルジ」と読み、セイジとは呼称せず、また、それが仮名の場合は投票の行先を示す意味で「エ(え)」などと同様の「ニ(に)」という文字を附加したものとして「ハル、ニ」と読むのが経験則上普通であるが、清はキヨシであつてセイとは呼称されず、また、清と晴とは旁(つくり)は同じ青であるが扁(へん)が「シ」と「日」の相違で全く違つた意味をもつ。これらの諸点から考えて、この投票の記載と中山清の名との間に類似性は殆んどなく、中山清の名を誤り記載したと認める余地は殆んどない。したがつて、この投票は他事記載として又は(1) と同じく第六十八条第七号の場合として無効である。
これに反し(3) 以下の各投票は全部中山清への有効投票である。けだし、
(3)「中山清行」という投票については、中山清の氏名と同一の記載の下に「行」の字が記されているが、この投票の筆跡は普通人の筆跡で、文字の配列状態は「清」と「行」との間に間隔があるわけでもなく、行を異にしているわけでもないので、これをキヨシ、ユキと読み、候補者の氏名の外、他事を記載したものとするのは不当といわねばならない。かえつて、中山清の三字が悉く正確に記載されていること、候補者に清行またはこれに類似する名の者がなく、ただ長谷清重という者はあるが類似性に乏しいこと、選挙人のうちに清行という名の者はあつても中山清行という氏名に符合する者はないこと、これらの諸点ではこの投票と酷似している次の(4) の投票が、開票の際に開票立会人全員の同意の下に選挙長により簡単に有効と決定したことなどの諸点から考えて、中山清の名を誤つて記載したものと認あることができる。なお本件選挙の開票の際に、被告の係員が開票管理者の側から電話で候補者の氏名の下に「行」の一字を記載した投票の効力はどうかと問われ、無効であるとの意見を述べたことがあり、後になつてそれがこの(3) の投票に関する問であつたことが判明したのであるが、それは問そのものが誤つていたというほかはない。
(4)「中山清吉」という投票については、中山清の三字が悉く正確に記載されており、候補者のうちにこれに類似する名の者がなく、選挙人のうちにも同一氏名の者がない。もつとも清吉という名だけからいえば選挙人のうちに清吉と同一又は類似の名を有するもの少しとしないが、候補者制度をとる現行法の下では、前記のように、選挙人は候補者のうちのなんびとかに対して投票したものと推定するべきであり、したがつてそれが選挙人のうちの相当な著名人の氏名と一致するような場合はともかく、そうでない場合は、これを「候補者でない者の氏名を記載したもの」と認めるべきではない。このようにみてくると、この投票は選挙人が候補者中山清の氏名を記載しようとしたが、世上これと同一又は類似の名が多く且つ緊張をしていたために、名を清吉と誤つて記載したものと認めるべきで、開票立会人十人悉く候補者中山清への有効投票と判定した事実も参酌して考えると、中山清への有効投票といわねばならない。
(5)「」という投票については、第一字は「ナ」、第二字は「カ」で、第三字以下は片仮名のカとヤ、マとコがそれぞれ類似していることを考慮すれば、「ヤ」「マ」と判読できる。この投票は字の不得手な選挙人が中山清の氏を記載したと認めるべきで、同候補者への有効投票である。
(6)「」という投票については、選挙人が毛筆によつて墨汁で「中山」と記載した後投函のため折畳んだために判読がしにくくなつたので、これを明確にする意思でその記載の右側にもう一度鉛筆で中山と記載したものと認められ、二個の相異つた氏を併記したものではないから、もとより中山清への有効投票である。
(7)「」という投票については、第一字は「中」であり、第二字は「山」と記載するのにあたつて不正確な記載になつたので、これを直すつもりで、しかし不用意に「一」を書き加えたもので、字体、筆跡などからみて中山の「山」の字を不正確に記載したものであるから、中山清への有効投票である。
(8)「」という投票については、第一字、第二字は「中山」で、その下の字は清の草書体か草書体に類似した字体であつて「清」と判読できる。その右側の「」は判読困難ではあるが有意の記載とは認められない。公職選挙法第六十八条第五号の他事記載は有意の記載をいうもので、本投票はこれに該らない。また判読が困難であるから秘密投票の趣旨を害することもない。したがつて、これは中山清への有効投票である。
以上の次第であるから、原裁決の取消を求める原告らの請求はすべて理由がない。
各当事者の訴訟代理人らはそれぞれ以上のように述べた。
(証拠)
立証として、原告中山清訴訟代理人は甲第一号証(裁決書)、第二号証(小松島市選挙管理委員会の決定書)、第三、第四号証(いずれも小松島市長作成名義の証明書)、第五、第六号証(いずれも小松島市選挙管理委員会委員長作成名義の証明書)、第七号証(小松島市長作成名義の証明書)を提出し、検甲第一号証(選挙ポスター)、検甲第二号証((2) の投票)、検甲第三号証((1) の投票)の各検証を求め、丙第一号証の成立を認めると述べた。
原告中西敏雄訴訟代理人は丙第一号証(小松島市選挙管理委員会委員長作成名義の証明書)を提出し、検丙第一号証((3) の投票)、検丙第二号証((4) の投票)、検丙第三号証((1) の投票。検甲第三号証と同じ)、検丙第四号証((2) の投票。検甲第二号証と同じ)、検丙第五号証((5) の投票)、検丙第六号証((6) の投票)、検丙第七号証((7) 投票)、検丙第八号証((8) の投票)の各検証及び証人樫原忠八郎の尋問を求め、甲第一号証ないし第七号証の各成立を認めると述べた。
被告指定代理人らは証人樫原忠八郎の尋問を求め、甲第一号証ないし第七号証及び丙第一号証の各成立を認めると述べた。
当裁判所は職権で鑑定人藤原茂、同二川正士に(8) の投票の記載について鑑定を命じた。
理由
第一、原告らの各訴願裁決取消請求について。
一、本訴は、原告らへの各有効投票を同数とみて公職選挙法第九十五条第二項が定めるくじによつて当選人を定めるべきものとした被告徳島県選挙管理委員会の裁決を原告らがともに争い、それぞれ互に自己の得票が他の一方より多いことを主張するものであつて、このうち原告中西敏雄の訴旨の表現については何も問題はない。一方、原告中山清は前記のとおり本件裁決中「当選人を決定しなかつた部分を取消す」との裁判を求めるというのであるが、これは同原告が、右裁決が得票数同数との理由によつてでも、ともかく中西敏雄の当選無効を宣言していることを考慮してとつたいわば形式的な表現で、その趣旨は、同裁決を違法として取消し最下位当選人中西敏雄得票が最高位落選者の自己のそれよりも少いという理由に基く中西敏雄の当選無効の判決を求めるものであることはその主張に照らし明白である。そして同じ当選無効といつても、このような理由に基くものと得票数が同じであることを理由とするものとではその後の当選人決定の手続に差異をきたし、いわば効果を異にするのであつて、いわゆる次点者にとつて前者が有利なことはいうまでもないから、前記の裁決において一応中西敏雄の当選を無効とする旨宣言されてはいても、なお本訴を提起する訴の利益があることは勿論である。
二、よつて、以下、これらの裁決取消請求の当否につき考察する。
本件裁決に至るまでの経過、裁決の内容及び本件選挙の投票のうちに前記の八つの投票があつたことなどについては、前記のとおり、いずれも当事者間に争がない。そして、本件では他の投票は争われず、当選人となるための資格の欠除などが問題とされてもいないから、結局、裁決の当否はこれらの八票の効力をどう解するかによつて決せられることとなる。
ところで、投票の効力については、前記のとおり、各当事者間に一般的態度及び各投票の効力の個々の判断につき主張の対立があり、公職選挙法第六十八条第二号前段、第七号や第五号に該当するかどうかが争われているが、これらの点については次のとおりに解すべきである。
三、公職の候補者のうちのある特定の者の氏名を記載したといいうるかどうかについて。
ある投票が公職の候補者のうちのある特定の者の氏名を記載したものと認められるかどうかは、本件係争の八票全部に関係があることである。それは投票にあらわされた選挙人の意思解釈の問題であつて、現在の秘密投票制の下では、投票そのもの即ち投票に記載された文字の字形、運筆ないし筆勢、意味などと当該選挙当時の諸般の事情などとに基き、客観的、合理的に推論するべきものである。
その推論にあたつては、次のような特別の事情がない限り、候補者のうちのなんびとか一名に対する投票の意思を推定することはなんらさしつかえがなく、かえつて当然のことといわねばならない。たとえば、投票の記載が人の氏名を指すとは到底いえない場合や、人の氏名ではあつても候補者でない特定の者を記載したと明らかに認められる場合、或は候補者のうちのなんびとかを記載する意思がないものと特に認められる場合その他右の程度には至らないが投票の記載に類似した氏又は名をもつ複数の候補者の有無や次に述べるような誤記若しくは誤認などの可能性の点などを併せ考慮しても結局候補者のなんびとを指すか全く判断し難い場合など(本件の(1) の投票について後述するところを参照)は別であるが、このような場合にあたるといえない以上は原則として、右誤記、誤認などの可能性が認められる範囲で全体としてこれに最も近似した氏名をもつ候補者に向けられた投票と認めるべきである。(本件の(2) ないし(4) の投票について後述するところを参照)。けだし、候補者制度をとる単記投票主義の選挙では選挙人は候補者のうちのなんびとか一名に投票する意思でしているのが通常で、特別の場合を除きこのような推定を以てのぞむことが客観的且つ合理的な判断というべきだからである。そして公職選挙法第六十八条第二号前段(これは(1) ないし(5) の投票に関係して当事者の争うところである)に公職の候補者でない者の氏名を記載したものとは右の除外例にあげたように候補者でない者の氏名を記載したと積極的に認定しうる場合をいう。どのようなものがこれにあたるかは一概にはいえないが、投票の記載が人の氏名だけを記載したもので、しかもそれが候補者氏名の誤記又は誤認の可能性の範囲内にあるといいうる場合などでは、その可能性の度合によつても異なつてくるが一般的にいつて、それが選挙人のうちのかなり著名な人物の氏名と一致するか極めて近似するなど特に右の推定をくつがえすに足る強い事情があることを必要とするというべきである。また同条第七号(これは(1) ないし(7) の投票に関係して当事者の争うところである)に公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いものとは右の除外例にあげたように公職の候補者のなんびとを記載したか全く判断し難い場合をいう。どのようなものがこれにあたるかはやはり一概にはいえないが、その判定をするのにあたつても前記の投票者の通常の意思を顧慮するべきである。
ところで、投票の記載が公職の候補者のなんびとかを記載しようとしてその氏名を誤記し又は誤認したものとなしうる可能性の範囲内に属するかどうかは、投票に記載された氏名と候補者の氏名との類似性の有無、程度を検討し、記載から推察される当該選挙人の筆力、智力などのだいたいの程度を考慮し、これに前記の選挙当時の諸般の事情などをあわせて考察し、このようにして現行法の下で許される限りの諸般の事情を綜合して、これまた客観的に判断されなければならない。この点について、各当事者は前記のとおり、或は誤記票の存在が不可避的であることを主張し或は逆にそれが本件の特殊性から極めて異例と称すべき程度に稀なものであることを強調する。これについては、ある候補者に対する投票と認めうる範囲をまず文字の誤記の場合だけでなく候補者の氏名を誤つて記憶したことによる誤つた記載の場合にも認めるべきで、したがつて既述のとおり、誤記若しくは誤認の双方についてそれぞれの可能性如何を検討するべきであるが、個々の投票の記載に関する具体的な検討は後述するところにゆずり、まず一般的に論ずれば、その可能性の範囲については、一面むやみに拡大することもできないが、しかし次のような理由によつてかなり幅のある範囲でこれを是認しなければならない。けだし、選挙人は常に必ずしも平常から候補者たるべき者の氏名を記憶しているわけではないし、その中にはまた当該選挙に対する関心がうすい者や知能の程度、文字の知識、自筆能力などがかなり劣る者も含まれていることなども、かなりの規ぼで行われる一般住民による選挙であれば当然に想像することができる。そして、現在のように国の中央の政治が地方の住民の生活のかなりの部分についてその細部にまでいわば直接的なつながりをもち、しかも各種の選挙が度々行われるようになると、選挙に対する理解は一面深まるが、他面、各種選挙の候補者やその他の知名人が不断に増加して人の記憶を混乱させるような場合もできたり、いわゆる身近な選挙というものの重要性を他の選挙との比較において誤解させ、これに対する関心を低下させたりする場合も考えられる。ゆえに候補者の氏名を誤つて記載したり、誤つて記憶したりすることがおこりうる度合は市議会議員選挙だからより少い、他の選挙ならより多いというようなことは一概にいうことができない。市議会議員選挙であつても、それがかなりの規ぼのものである以上は、たとえば特別に民度が高いとか、候補者数が少いとか、候補者が特に著名であるとか、その者の氏名が特徴のあるものであるとか、市議会所管の問題で当該市の住民の関心を特別にひくような事柄がおきているとかいつた事情がいくつか競合しているような場合なら格別として、そうでなければ、我国の実状として、また漢字というものの特異さ、複雑さからいつて前記のような誤ちがわりあいに幅のある範囲ででてくるといつてさしつかえない。もちろん、選挙に際して、ポスターその他により候補者の氏名を周知させるための方法が講ぜられ、また投票所において候補者氏名の一覧表が掲示されたりするけれども、これも、たとえば候補者数が多かつたりすれば投票の記載の誤ちをそれほど充分には防止しえないことは多数の選挙の事例が示すところである。これを本件選挙について考えてみても、成立の真正なことにつき争がない甲第三号証ないし第五号証の各記載、検甲第一号証及び証人樫原忠八郎の証言によると、本件選挙の有権者は二万名を超えるものでかなり大規ぼな選挙といつてさしつかえがない上、候補者は一度に三十四名という多数で、しかもこれは小松島市と旧坂野町とが昭和三十一年九月三十日に合併した後の最初の小松島市議会議員選挙であり、問題の候補者中山清は旧坂野町の者で合併までの公職の経歴も同町の関係に限られていたのであるが、同人の選挙ポスターには中山という氏だけを記載していたことが認められる。なお、同人の名の清という字は、普通の知識をもつ者の平常の注意ぶかく冷静な状態の下では簡明であるが、しかしこの文字又はこれに類似の文字を用いた名は世間にいくらでもあり、その意味では特徴のない名であるという一面がある。これらの諸事情を綜合して考えてみると、前記のとおり、まちがいの可能性はかなり幅のある範囲で生じうるものと推測されるのである。
以上のようにして、投票の記載がある特定の候補者を記載したものと推断しえた場合は、後に述べるいわゆる他事記載に関する規定その他の無効投票に関する諸規定に反しない限りにおいて、その選挙人の意思は尊重されなければならない。また投票の記載が拙劣で不明確なものであつても、それが文字としてみとめられる以上は、もとより字形、個々の字の位置、運筆ないし筆勢その他あらゆる観点からこれを観察し、且つ各候補者の氏名とも対照してこれを判定するべきで、このようにしてある特定の候補者を記載したものと認めえたときは右と同様に取扱われるべきである。(本件の(5) ないし(8) の投票について後述するところを参照)けだし、日本国憲法が国民主権主義の理念を掲げ、同第十五条第三項、公職選挙法第九条が普通選挙を保障する趣旨を規定する所以は、選挙を通じてひろく、主権者である国民の意思が表明されることを期待し且つひとりたりとも選挙人の正しく表明した意思はこれを尊重するべきことを当然のこととしているのであつて、同法第六十七条後段の趣旨の一半はここにあり、また、同法第四十六条がとる投票の自筆主議も、これを自筆能力、文字の巧拙などの面から制限しようとするのではないことはもちろんだからである。
四、公職の候補者の氏名の外、他事を記載したものというべきかどうかについて。
公職選挙法第六十八条第五号に該当するかどうかは本件係争の(2) 、(3) 、(6) 、(8) の四つの投票に関係して当事者の争うところである。同号は同法第四十六条第二項、第五十二条などと共に憲法第十五条第四項の定める秘密投票主義に由来するもので、公職選挙法第一条が掲げるように、選挙が選挙人の自由に表明した意思によつて公明且つ適正に行われることを制度として担保しようとするものであり、全体としての選挙の自由公明に関係するものである。およそ選挙は民意を問うものであるが、全体としての民意の表現が自由、公明、適正に行われるのでなければその目的を達しえないことはいうまでもなく、この意味において本号の規定は極めて重要で、いかに投票の記載から選挙人のある候補者を選ぼうとする意思が明白であつても、制度としての、また全体としての選挙に関する右の観点からの制約を免れないことは当然である。たださきに述べたような選挙人の個別的意思の尊重の理念とこの全体としての選挙の自由などの確保の要求とは、制度としての適当な相互の限界が定められなければならない。本号は、他事記入が選挙人がなんびとであるかを探知させる機縁となつて秘密投票主義の精神を破壊するに至るおそれがあることを考慮し、これを防止する趣旨にでたものであるが、その規定は右の相互の限界を定めたものとして、これらの理念と選挙の特質及び記載された事柄の性質とに基いて、解釈、運用することを要するのである。
思うに投票の記載が選挙人のなんびとであるかを探知させる機縁となることのおそれは、外見上氏名、住所などの形で記載されたものについても考えられる。しかし、まず、候補者の氏名は法が投票に記載されることを求めているもので、選挙人の選挙権行使の意思はこの部分によつてはじめて表明されるのであるから、これは選挙人の個別的意思の尊重の理念が制度的にも原則として優位を是認されるべき事項である。実際上からいつても、現行法は全く自筆能力がない者以外の選挙人に自ら独力で候補者の氏名を記載をすることを要求しているが、一般住民による選挙では他意のない氏名の誤つた記憶などが入り込む余地がかなり幅をもつた範囲についておこりうることは前記のとおりである上に、経験則からいつて選挙人は殆んどが有効な投票をすることを欲して投票をしているものであるから、むやみに氏名の文字のまちがいや書き方のくせなどを、秘密投票の確保を理由に問題とするようでは普通選挙を保障した憲法の趣旨をうしなわせる結果となる。本号が氏名の記載を他事としないのはこの理由に基くのである。(本件の(2) 、(3) の投票について後述するところを参照)たゞ投票の記載上、たとえば、氏名の文字のまちがいなどが選挙人のなにかの意図を暗示するために故意になされたと特に認められる場合などは選挙の公正を害するおそれがあることはもちろんであるし、且つその部分は本号にいう氏名にあたらないということができるから、このような場合だけは無効とするべきである。(最高裁判所昭和二三年(オ)第三三号、同二三年七月一三日判決参照)以上のような取扱いが、法の理念をみたし、経験則に合し、且つ後述のような選挙の特質にも適合するというべきであろう。同様のことは、職業、身分、住所又は敬称の類を記入したものについてもいうことができる。これらは、本来、投票に記載することを求められてはいないが、人を特定する場合に通常用いられるものとして、或は我国の言葉づかいや人の感情からむげに排斥しえないものとして、即ち事柄の性質や人の自然の感情を考慮し且つ作為の介入する可能性が通常少いものであることを考慮して、法が前記の二つの理念のうち選挙人の個別的意思の尊重に優先を認めたもので、氏名の場合について述べたのと同様に、同号所定の職業などというのにあたらないというべき特別の場合にだけ他事記載と認められるのにすぎないのである。
もつとも本号列挙の事項以外であつても、事柄の一般的な性質から或程度これに準じて考えうる若干の場合があることを認めなければならない。たとえば氏名に句点、読点を附した投票や氏名に振仮名のある投票、同一候補者の氏名を二重に記載した投票(本件(6) の投票について後述するところを参照)などは、互いの間に若干の差はあるが、それぞれ順次、或は慣習的なものとして、或はこれに近くしかも通常他意がないものと推定しうるものとして、或は他意のない場合が少くないものとして、この種の性質をもたない他の多くの場合とは区別されなければならず、一般的にいつて、このうちの句点、読点などは、右の性質から氏名、住所などについて述べたのと同様の取扱いを要する事柄である。(最高裁判所昭和二四年(オ)第二七号、同二五年七月六日判決参照)これに比べると氏名の二重記載などは選挙の秘密保持、公正確保などの理念がより強く考慮されなければならず、したがつてこれと同一の取扱いはできないが、それでも一律に無効とするような取扱いは許されず、いわば法の前記の二つの理念が交錯する場合として、若し投票の記載の態様や選挙当時の諸般の事情などからそれが選挙人の不慣れの結果であつて、他意のあるものではないと認定しえられる場合であれば本号に該当しないものと解すべきである。(最高裁判所昭和二三年(オ)第四七号、同二三年一二月二四日判決参照)記載に抹消部分のある投票などもこれに準じて考えうるであろう。このような解釈は、少くともその結論において、従来多数の判例が採用した見解と一致するものである。
以上のものないしこれに類するような若干のものを除けば、それ以外の記載は、選挙人の氏名の記載のように法が明示的に禁止しているものや、そうでなくても一般的にいつて投票になんら記載する必要がない事柄であり、したがつてまた、記載の態様などからそれが無意識的でなしに、即ち、たとえば不用意に筆具の先端を紙面に接触させたなどによつてできたものでなしに一応意識的に記載されたと認められる以上は一概に記載者の善意を推定しえない事柄である。(本件(8) の投票について後述するところを参照)殊に、現行法のように、事実認定の資料を投票の記載自体や選挙当時の事情などに限定している法制の下において、しかも、厖大な数にのぼる投票の効力を極めて短い期間内に判定することを要求し、且つその結果を極力安定したものとしなければならない要請の下においては、右のようによるべき経験則がない以上は、選挙人のこれを記載した意思の判定は極めて困難で、個別的なせんさくは制度的にも制限を加えざるをえない。それだけでなく、これを記載した選挙人の意図の如何はともかくとしてもこれによつて選挙人がなんびとであるかを探知させる機縁となるおそれは一般的には氏名などの場合以上であり、このことは極端に小さいもの、極端に淡いものなどは別として、必ずしも記載の大小、濃淡、形状などにかかわらない。それは選挙の公正を害するおそれが多く、しかも、これを無効としても、選挙人の正当な選挙権の行使を不当に制限することとなるおそれが比較的少いもので、投票の秘密保持、選挙の公正確保の要求が制度的にも原則として優位を是認されるべき事項である。それゆえ、このような記載は、投票者の意図如何は明らかでなくても、それが無意識的なものでなく、ともかくも書くことにつき意識あつて記載したものというべき限りは原則として事項の大小などを問わず、一般的に選挙の公正を害するおそれがあるものとして無効とされなければならない。(なお最高裁判所昭和二八年(オ)第八三二号、同二十九年六月十五日判決参照)本号がそのいわゆる他事につき程度の如何を特に問題とはせず、また、投票者のこの点に関する意図如何を問題としていないのは以上のような理由に基くのであり、立法論としてはともかく、現行法の解釈としては、本号の規定は充分意味のある規定といわなければならない。なお、この点に関連して、公職選挙法第六十七条後段が、すでに述べたとおり、投票の効力はその投票をした選挙人の意思が明白であることのほか、第六十八条の規定に反しないことを条件として、その意思を尊重するべきことを規定しており、およそ投票は無条件に選挙人の意思を尊重してこれを有効に解すべしというような不合理なことを定めているのでないことを留意するべきである。
五、以上のような観点から、投票の検証の結果を参酌しつつ、前記の八つの投票について判断する。
(1)「中山豊」という一票(検甲第三号証、検丙第三号証)については原裁決が無効と判断しているもので、氏の記載は候補者中山清のそれと一致するが名は異つている。原告中山清はこれを中山清に投票しようとして名を誤つたもので同人の有効得票であると主張し、原告中西敏雄は公職選挙法第六十八条第二号前段及び第七号により、被告は同第七号により、それぞれ無効と主張するのである。
右の論旨のうち、「公職の候補者でない者の氏名を記載したもの」(第六十八条第二号前段)とする主張は理由がない。第二号前段は投票の記載が候補者の氏名と一致しない場合一般をいうのではなく、候補者でない特定の者に対する投票とみられるものを指すと解されるが、本件選挙の有権者のうちに中山豊という氏名の者がないことは本件口頭弁論の全趣旨によつて明らかであり、他にこれと一致乃至近似する氏名の著名人がいることも証拠上これを認めるに足るものがないから、前記三においてふれたように、この投票からする客観的な推論としては、これを本件候補者以外の特定の者に対するものと認める余地がないからである。しかし、この投票は、結局、「公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」(同条第七号)といわねばならない。けだし、第一にこの投票の中山という記載は該当者が中山清だけであるが、豊という名が本件選挙の候補者である麻植豊の名と一致している。第二にその筆跡は、字形、配列は整い且つ安定し、運筆は正確、筆勢はかなり流ちようで且つ力強いもので、全体としてかなりすぐれた筆致であり、なお豊という文字が特に大きく明らかに記されているが、豊と中山清の清とは、いずれも一字でともに或る好ましい状態を意味するという程度の類似性があるだけで、字形、音感などは異なり、全体としても類似性が稀薄であり、右の程度の筆跡をのこす者がこのように互に稀薄な類似性しかない名或は類似性を否定してもよい氏を誤記する可能性はなく、誤つて記憶した結果そのまま誤つて記載をしたとみる可能性も少いと考えられる。以上の諸点のうちこれと事情を異にするものがあれば場合によつて結論を左右するであろうが、本件の事情の下では中山清に投票しようとしたと推断することも、麻植豊に投票しようとしたものと推断することもいずれも困難で、かえつてこの二名の氏名を意識的に混記した疑いもある。要するに、記載者の意思を確認することができないものであるから原裁決どおり無効である。
なお原告中山清は、その主張にそうものとして昭和三十二年九月二十日言渡の最高裁判所判決をあげたけれども、同判決の事案は投票に記載された氏名のうち名が或候補者の名と一致し氏も同候補者の氏に似ており、したがつて投票者が同候補者に投票したものと合理的に推断しうる場合に関するものであつて、本件の(1) の投票には適切ではない。
(2)「中山晴二」という一票(検甲第二号証、検丙第四号証)については、原裁決が無効と判断しているもので、氏は候補者中山清のそれと一致するが、名は同人のそれと異つている。これに関する各当事者の主張は、原告中山清は自己の有効得票とし、原告中西敏雄は第六十八条第二号前段により、被告は第五号及び第七号により、それぞれ無効と主張するのである。
右の論旨のうち、第六十八条第二号前段をいう点は(1) の投票と同一の理由で採用できない。すでに三で述べ右(1) でも述べたように、候補者制度をとる現行法の下で投票の記載がそれと類似する候補者でなく、候補者でない特定の者を記載したと認めるためには、投票の記載自体及び選挙当時の事情などからみてそのように推測しうる強い事情を必要とする。単に投票の記載に類似した氏名の選挙人がいるというだけで、いたずらに憶測して何ら合理的な根拠もなく候補者以外の者に対する投票と解することは許されない。本件で「中西繁雄」なる投票が選挙人のうちに同一氏名の者があつたのにかかわらずなお原告中西敏雄の得票と認められたというのも右の理由によつてだけ理解できる。また「中山晴二」の末尾の「」が投票の宛先を示し、他事を記載したものであるとする点も理由がない。この投票の記載が「」の文字を含めていずれも、大きさ、筆勢、間隔を同じくし且つ一列に記載されており、「」の文字がこれらの諸点やそれ自体の大きな筆勢などから片仮名の「ニ」ではなく漢字の「二」として、換言すれば氏名とは別個の意味を含むものとしてではなく氏名の一部として書かれているとみられ、且つ後述のように、それが全体として中山清の氏名に近似したものとみられること、したがつて前記四で述べたように、他事記載となるかどうかは投票者が故意にこのようなまちがつたものを記載したと認めうるかどうかにかかるわけであるが、この投票の記載からは別段不自然なふしもみうけられず、その上右類似性の点もあり投票者の故意を未だ認めえないからである。この点については被告が他事記載であることを否定する次の(3) の場合との間に別段の差異がない。かえつて、この投票については(1) とちがい、中山清に投票しようとしたもので、名が異つたのはこれを誤つて記憶した結果であると推断するべき根拠がある。けだし、同投票は前述のように候補者以外の特定の人物に投じたものとみるに足る根拠がなく且つ本件選挙の候補者のうちで中山姓は中山清だけであるという右(1) と共通の点があるほかに、甲第五号証によると本件選挙の候補者のうちに晴二という名の者はなく、全体として中山以上にこれに類似する候補者はないから(強いていえば熊沢正二という候補者はいるがこの投票との類似性は最後の一字が同一であるのにすぎずしかも他の字は全くこれと異つた関連のないものである。)複数の候補者の氏名を混記したとみる可能性も、(これが中山清を記載したものかどうかはともかくとしても少くとも同人以外の)他の候補者を記載したとみる可能性もない。したがつて、候補者制度の下で、投票の記載などの限られたものからの判断として検討を要する事柄としては、これが候補者中山清を記載しようとして記憶を誤つたものといいうる可能性の範囲にあるか、それとも何事かを暗示しようとして又は意味のある投票をする意思のない不真面目なものとして記載したものと認めるべきかのいずれかということであろう。しかし、その筆跡はなげやりな或は不真面目なものとは認められず、前記のとおり別段不自然とみられるふしもない。そして(1) の「中山豊」の投票とはちがつて、その筆跡は普通程度の筆跡にとどまり、しかもそこに書かれた名のうち「晴」という字は、清とは、文字の旁(つくり)が同じで字形が似ているほか、意味も、晴は空が雲もなくはれている、心のくもりがとけてさつぱりするなどの意味で、清は水がすんでいる、心にしみけがれがないなどの意味であるという、かなり似たところがあり、読み方としても共にセイと読める点が共通している。もつとも末尾に「二」がついているが、この字は名の末尾の文字としては意味もひびきも比較的かるいもので、いわば特徴と印象にとぼしいものであり、晴二という二字としても全体として清に比較的類似しているといつてさしつかえない。(もつとも、名としては、晴二はハルジ、清はキヨシと読むのが一般で、これをセイジ、セイと呼称することは通常ではないが、普通人の間でこのような呼称をされる可能性もあるし、また、選挙人が候補者の氏名を記憶にとどめる原因として、字形などの印象も大きな割合をしめることはいうまでもない。)そして成立の真正なことにつき争がない丙第一号証の記載によつても世間には、清のほか、清一、晴一、清二、晴三というような互いに印象が接近し本件の晴二にも似た名が人名として用いられており、この種の名はいずれもそうめずらしいものではないことなどが認められる。これらの筆跡及び文字の類似性などに関する点からみると、本件選挙において選挙人が候補者の氏名を誤る一般的な可能性の程度などについてさきに三で述べたところと相俟つて、この投票は中山清の名の記憶ちがいによるものとなしうる可能性の範囲内にあると認めることができる。以上のような諸点即ちこの投票については少くとも中山清以外の者に投票したものと認めるべき積極的な根拠も、作為的なものと認めるべき根拠もなく、他方中山清に投票しようとしてその氏名を誤つて記憶したものとなしうる可能性の範囲内にあると認められることを綜合して考慮すると、候補者制度の下ではこれは中山清の有効投票と認めるべきで、これを無効と解した原裁決の判断は当をえないというべきである。
(3)「中山清行」という一票(検丙第一号証)については、原裁決が中山清の有効投票と判断しているもので、四字のうち三字まで中山清の氏名と一致する。原告中山清と被告とは原裁決の判断を支持し、原告中西敏雄が第六十八条第二号前段、第五号及び第七号によつて無効と主張するのである。
右の論旨のうち、第六十八条第二号前段をいう点は右(1) 、(2) と同一の理由で採用できない。丙第一号証の記載によつても、この場合も選挙人中には投票の記載と同一の名の者があるだけでそれも氏に至つては全く異るからである。また「中山清行」の末尾の「行」の記載が投票の行先乃至は一票を贈呈する趣旨のもので第五号の他事記載であるとする点も理由がない。この投票の記載が「行」の字を含めて、いずれも、大きさ、筆勢、間隔を同じくし且つ一列に記載されており、このような記載の態様自体からも「行」の文字が氏名とは別個の意味を合むものとしてではなく、氏名の一部として書かれているとみられること、それが全体として中山清の氏名に近似したものとみられること、及び次に述べるような投票者の意思を推測すべき諸事情などから考えて、(2) の投票の場合と同様、誤りが投票者の作為によつたものとは未だ認めえないからである。かえつてこの投票については、(2) 以上の強い意味で、投票者が中山清に投票しようとしたもので名が異つたのはこれを誤つて記憶したものと推断するべき根拠がある。けだし、甲第五号証によると本件選挙の候補者のうちに清行という名の者はなく且つ全体として中山以上にこれに類似する候補者はないが、このこととを附加するほかは、右(2) において述べたことは、筆跡に関する部分も含めてほとんどそのままにこの投票についても引用することができ、しかも前記のとおり四字のうち三字まで完全に一致し、読み方も「キヨユキ」とキヨシというように近似していて近似の度合は(2) よりもつよいからである。したがつて、この投票は原裁決どおり中山清への有効投票である。
(4)「中山清吉」という一票(検丙第二号証)については、原裁決が中山清への有効投票と判断しているもので四字のうち三字まで中山清の氏名と一致する。これに関する各当事者の主張は原告中西敏雄において第六十八条第二号前段及び第七号によつて無効と主張するほかは右(3) の投票と同様である。
右の論旨のうち、第六十八条第二号前段をいう点は、前記(1) 、(2) 、(3) と同一の理由で採用できない。選挙人中にこの投票の記載と氏名が似た者或は名だけが一致する者などが多数あるというだけのことにすぎないからである。またこの投票が中山清の氏と本件選挙の候補者のひとりである長谷清重の名とを混記したともみられるという点も合理的な根拠を欠く。けだし、この投票はまず氏を中山と明記したほか、(1) の投票の場合とちがつて、名が他の候補者と一致するわけでもなく、筆跡も(2) 、(3) の場合と同等又はそれより劣る程度のもので、しかも記載された清吉という名は候補者中山清の名の清とともにごくありふれた且つこれに印象のかなり近似した名であり、本件選挙当時の事情などについて三において述べたところと相俟つて、投票者が中山清の氏名を記載しようとしてただその名を誤つて記憶したものと認める可能性が十分なものである。これに対し、長谷清重はこの投票の記載と氏が全く異る上に右のとおり、名も完全には符合せず、なおその清重という名は末尾の一字に字形、音感、意味などの点でやや特徴があつて、これを清吉と誤ることの可能性は清と清吉と誤る可能性より大きなものとはいえず、全体として「中山清吉」とは著しく印象を異にする。さきに三において述べたように候補者制度をとる現行法の下では、特段の事由があるものを除き、選挙人は一人の候補者に対して投票する意思でその氏名を記載するものと解すべきであるが、このような両候補者の氏名に対する近似の度合の差から考えて氏名の混記を問題とする余地はない。右のような理由によつて、この投票は原裁決どおり中山清の有効投票である。
(5)「」という一票(検丙第五号証)については、原裁決が中山清への有効投票と判断しているもので、原告中山清と被告とはこれを支持し、原告中西敏雄が第六十八条第二号前段及び第七号によつて無効と主張するのである。
しかし、右投票の記載のうち第一字が片仮名の「ナ」第二字が片仮名の「カ」であることは明白であり、次に第三字の「」はその「」「」がそれぞれ第二字の「」の字の「」「」と明らかに異つていてカではなく、字は拙いが片仮名の「ヤ」を書いたものであることが十分に読みとれ、第四字「」は字形及び書き方からみてコではなく片仮名の「マ」であると判読できる。このような投票が能筆を以て明記された場合と効力において区別される理由のないことはすでに三において述べたとおりで、みだりに憶測して選挙人の正当な選挙権の行使をはばむことは許されない。なお公職選挙法第四十六条は選挙人は投票用紙に候補者一人の氏名を記載するべき旨を規定し、第六十八条もこれをうけて氏名という語を用いているが、これは氏と名を共に記載することを必須のものとする趣旨ではなく、氏だけでも、名だけでも要はその記載によつて候補者の誰を選ぶ趣旨かを確認できるものであればそれだけの記載で足ることは、これらの規定及び第六十七条のそれぞれの趣旨からいつて疑いをいれない。そして本件選挙において「ナカヤマ」という投票が中山清への投票と推断されるべきことは従来度々述べたところから明瞭であろう。この投票は原裁決どおり中山清への有効投票である。
(6)「」という一票(検丙第六号証)については、原裁決が中山清への有効投票と判断しているもので、原告中山清と被告とはこれを支持し、原告中西敏雄が第六十八条第五号及び第七号によつて無効と主張するのである。
しかし、右投票には、前記のような墨書並びに鉛筆書のものが、投票用紙の左側の黒線で四角くかこまれた候補者氏名を記載するべく予定された部分に記載されているが、この投票の右側にはこの墨書の部分を左右さかさまにしたような形で墨痕が附着しており、いまこの両側の墨色の部分を比較しながら検するのに、この投票はその記載の状態からみて、投票者がまず左側の欄内に、墨をふくませた筆を以て二字を書いた後、墨汁がまだ紙の表面にいくらかたまつている位のみずみずしいうちに、投票用紙をそのほぼ中央から内側へ二つに折つたため、その左右両側が接触して墨書の部分がくずれ、同時に右側に墨が附着し、次いでそれが一旦はなれた後更に投票者がこれを持なおしたため、こんどはさきの場合よりも縦に七、八粍位ずれて両面が接触し、未だ十分にかわいていなかつた左右両側の墨がこのときもう一度互いに他方に附着したものであることが明らかである。そして、第二字が漢字の「山」の字であることはこの左右両側の墨色部分を比較してみれば明瞭であり、第一字は右の経過をたどつて検してみると、米ではなく「中」の字であることが判読できる。またこの経過と墨色部分のくずれの状態及びその右側に鉛筆で併記された中山という文字の位置などからみれば、投票者が投函前にこのような文字のくずれに気附き、自己が投票しようとする候補者の氏名を更に明確にする必要を感じてその場であらためて鉛筆を以て、墨書のすぐ右側にこれと並べて中山と書き加えたものであると推断するのに十分である。したがつて、この投票は候補者中山清の氏を記載したと認めうるものであり、且つその併記は他意のあるものではないと認定しうるから前記四でふれたように他事記載にも該当しないものであつて、(5) と同様に候補者中山清の有効得票で、原裁決の判断は正当である。
(7)「という一票(検丙第七号証)については、原裁決が中山清への有効投票と判断しているもので、原告中山清と被告とはこれを支持し、原告中西敏雄が第六十八条第七号によつて無効と主張するのである。
しかし、右投票の記載のうち第一字が漢字の「中」であることは明白で、筆跡はいかにも平常文字を書きつけない者の拙い字ではあるが、それは「」「」「」「」の各画を、正しい運筆の法にしたがつて記載していることがうかがわれる。これに対し、第二字は「」「」「」「」からなつており、そこには中の字の第一画である「」、第二画である「」、第三画である「」に該るものが全くなく、原告中西敏雄が主張するような西の字の画は全く包含せず、したがつて中や西ではないのであつて、かえつて山の字の第二画である「」、第三画である「」を「」を一番最初に書いたかそれとも一番あとに書いたかはともかくとして)その順序で書いていることが認められる。このような字画、運筆の点及び文字の拙いことを併せ観察すると、第二字は「山」と記載しようとして、平常文字を書きつけないために意の如く運ばず、山の字の第一画が下にまでつきぬけた形となるなど不正確な字形となつたので、これを明確にしようとして第二画を更にもう一度書いたものと認めるのに十分である。したがつて、この投票は中山清に投ぜられたものであり、原裁決どおり同候補への有効投票である。
(8)「」という一票(検丙第八号証)については、原裁決が中山清への有効投票と判断しているもので、原告中山清と被告とはこれを支持し、原告中西敏雄が第六十八条第五号によつて無効と主張するのである。
よつて、各鑑定の結果を併せながら、これを検すると、この投票は、各文字の大きさや配列、字形などをととのえることに注意をそそぎながら記載しているが、筆跡そのものは特にすぐれたものでもなく、また次に述べるように文字の書き方についての充分正確な知識をもつたものともいえない。その記載をみると平常余り文字を書きつけないが、文字をつづけて書く書き方に興味をもつ者の投票と考えられる。第一字は漢字の正しい草書体としてみれば申の字に近いが世間によくある不確正な文字の書き方として「中」と判読することは充分可能なもので、第二字は明らかに「山」であり、第三字は漢字の正しい草書体としてみれば該当の文字がないが、その扁(へん)は一応「」(さんずい)とみることができ、旁(つくり)の下部は「月」らしい用筆とみることができる。そして第三字全体としての形も清の草書体に似たところがある。以上の諸点と本件選挙の候補者中に中山清がいること、他の候補者中に氏はもちろん、名としても、この投票の文字に類似した文字はないことを併せ考えると、記載された文字自体は正確ではないが、さきに三において述べたところから自ら明らかなようにこれを中山清の氏名を記載しようとしたものと認めることができる。なんびとに投票しようとしたかの点はこのように充分確認しうる投票であり、この点で無効とするべき理由はない。
しかし、この投票には、第三字の清に類似した文字の右側にこれとややはなれて「」なる記載があり、鑑定人藤原茂の鑑定の結果を併せながらこれを検すると、この部分は不用意に鉛筆が紙面にふれてできたものなどではなく、意識しながら記載したものであるが、前記の氏名の記載よりも鉛筆のあとはうすく、筆圧がより弱く、書いた速度は逆によりはやいもののようである。その上、氏名の記載の列から明らかに外にあり、且つこれを漢字の一部としてみることはその左側にある清の草書体類似の文字の扁(へん)の書体と合致しない不合理がある。このような諸点からいつて、この部分は清の草書体に類似した文字と合して一字をなすものでないことはもちろんで、この部分のうちの上、中、下の各部分にやや筆圧がこもつていることをも併せて一見したところから最初にうける印象としては仮名づけのつもりで記載したものかともみえるものである。しかし、これを振仮名とみることには、それが判読の困難なものであるというだけにとどまらず少くとも「キヨシ」とか「キヨ」とか「セイ」とかとは全く読めず、殊にその書きはじめの部分が「キ(き)」や「セ(せ)」などでは決してないということ、これを強いて判読しても片仮名とすれば「フア」か「ラ」か「テ」、平仮名とすれば「ろ」か「る」くらいなものであるという困難がある。この投票の記載者は前記のようにかなり自己流の文字をかく人物であると認められるが、しかし氏名の部分の書き方について述べたとおり、字画の少い字は充分読めるものを書いているのであるから、簡単な文字、たとえば振仮名などであれば充分判読することができるものを書けるはずで、以上の諸点からいつて、これを振仮名と認めることもできない。そうすると、この記載部分について、投票者に、自己がなんびとであるかを探知させる機縁をつくろうとする意図があつたかなかつたはともかくとして、いずれにせよ、公職の候補者の氏名の外、職業、身分、住所又は敬称の類のどれでもなく且つ振仮名とも認めがたい何事かを、一応意識的に記載したものであるから、前記四においてふれたように、公職選挙法第六十八条第五号の規定上、いわゆる他事記載に該るというほかはなく、この点において無効としなければならない。鑑定人二川正士の鑑定の結果中この部分について「自然に鉛筆が動いたといつた程度のもので書く意思は認められません。」「よくあることは、書き終つて、鉛筆を押えたまま考えているうちに、手が動くということが考えられます。」「ただ鉛筆が走つた程度とみます。」「筆圧があれば書いたと見えますが初の字からみてそのようには思いません」という供述があるが、他の供述部分と併せると、それは氏名の部分に比して記載者の気持の緊張の度合にかなりの差があること、或るはつきりとした意思をもつて書いたとは認められない旨を強調したもので、殆んど無意識的なものとまでいうのではないと解されるし、いずれにしても、前記の認定を左右するに足るものではない。また被告はこの投票について、他事記載とは有意の記載をいい本件はこれに該らない旨、また何人にも判読しがたいものなどは他事記載といえない旨をそれぞれ主張したけれども、本件のような記載についてまで積極的に有意(これは選挙人がなんびとであるかを知らしめようとする意図その他何事かを暗示しようとする意図をもつてすることをいう)を要件とすることは、前述のとおり、当裁判所の採りえないところであり、他事を判読しうるものに限定することもまたなしえないところである。以上のとおりであるから、この投票を中山清への有効投票と解した原裁決の判断は当をえないというべきである。
このように、原裁決の投票の効力に関する判断は、(1) 、(3) ないし(7) の各投票については正当であるが、(2) 、(3) の二票については当をえない。しかし、(2) は中山清への有効投票であるべきものが無効に、(8) は無効であるべきものが中山清への有効投票に数えられていたのであるから中山清と中西敏雄の各得票数には影響がなく、両者は結局同数で、右の違法は原裁決の当落に関する判断は影響を及ぼさない。このように、投票の効力の判定に違法があつても、当落に関する判断に影響が認められないときは、原裁決取消の理由とすることができない。したがつて、原告らの請求はいずれも理由がないこととなる。
第二、原告中山清の、自己を昭和三十四年四月三十日執行の小松島市議会議員一般選挙の当選人と決定することを求める訴について。
本訴は、裁判所が進んで当選人の決定をすることを求めるものであるが、当選人の決定は、選挙会が確定判決に拘束されつつ、同時に、選挙の効力など訴訟において判断されなかつた事柄についても自己の判断を下し、このようにしてその責任の下に行うべき事柄であつて、裁判所がするべきものではない。このことは公職選挙法中の第九十六条その他の規定から明らかである。(最高裁判所昭和二三年(オ)第一六五号、同二四年八月九日判決は裁判所が当選の確認をなしうる場合を判示しているが、その事案は本件の場合に適切ではない。)したがつて、本訴は不適法なものであるから、本案の当否の審判をするまでもなく、理出がない。
第三、結論。
以上の次第であるから、原告らの各訴願裁決取消請求を棄却し、原告中山清の自己を当選人と決定することを求める訴を却下する。訴訟費用については本件係争の投票のうちに個別的にはそれぞれの原告の主張が理由があるものがあつたことは前述のとおりであるが、これらは他の投票との関係で結局当初から原告らの勝訴に役立たないものであつたというべきであるから、他の点に関する費用とともに民事訴訟法第八十九条によりすべて原告らの負担とし、原告ら相互間の負担の割合については、これら各投票がすべて原告ら双方に関係がある事柄でいずれか一方の原告だけに関係した特別のものではないから、同法第九十三条第一項本文に則り、平等の割合を以て負担するべきものと定める。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷弓雄 裁判官 橘盛行 裁判官 山下顕次)